移住者インタビュー

「池田」というマチをフィリピン・マニラで知る!

日本三大河の一つ吉野川の上流、北は阿讃山脈、南は剣山山系の四国山脈の連峰に抱かれた酒造りに最適のまち「三好市池田町」。西宮市出身の星野清さんが、この町の名を知ったのはフィリピンのマニラであった。何故にマニラだったのか。

西宮出身といっても三田に近い山間の町で生まれ育ち、中・高・大と陸上の長距離選手として部活に明け暮れ、「全国駅伝」が目標の全てだった。

大学を卒業後、尼崎市内の清掃会社で働いていたが違和感があった、「何かが違う。」と。国家試験を受けるために退職し、試験勉強の合間に様々なバイトを経験した。そこで燗付師である五嶋氏の手伝いを経験し、星野さんは日本酒への道に引きずり込まれていった。

日本酒文化が広げた移住先

現在香港で「GODENYA」を営む燗付師であり、日本酒文化プロデューサー 五嶋慎也氏のブログに掲載されたイタリアで開催されるイベントに参加した。

「イタリアで開催される日本の夏祭りで日本酒とそばを販売するスタッフを募集!お手伝いは日本酒つき!!」

とても魅力的な求人募集だった。気持ちよりも勝手に身体が応募していた。イタリア・マルケ州での7日間のイベントにスタッフとして参加し、移動も含め13日間を五嶋氏と共にした。その後フィリピン・マニラでの着物イベントに参加した際、三好市池田町出身の盆栽師 平尾成志氏と出会った。初めて「三好市池田町」知った。

そうして、五嶋氏が押上で開いている「ごでん屋」の日本酒イベントの手伝いを志願し、上京することになった。このイベントで、面白い味わいの
日本酒「三芳菊」を知ることとなる。

「今となっては運命的な出会いだったのかもしれない。」

東京での住まいは神楽坂のゲストハウス。毎日掃除を30分すると家賃が半額になるシステムが入居の決め手だった。気付けばゲストハウスの管理人のような状態で、西日暮里のゲストハウスの立ち上げに関わり、管理人として1年運営に携わることとなった。敬愛する五嶋氏も香港での開業準備に忙しくなり始めた頃だった。

これを機に、管理人を辞め、日本にあるゲストハウスを巡る旅を始める。伊勢の風見荘、倉敷の有鄰庵。旅の途中、三好の西祖谷山間にあるゲストハウス「空音遊」を紹介された。

早速オーナーであるのりさんと会えることになった。自らの日本酒やゲストハウス巡りの経験から、のりさんへ「次はゲストハウスと日本酒バーを一緒に出来るお店がしたい」と話したところ交流型複合宿泊施設「ココクロス」の立ち上げを、ちょうど考えていたそうだ。のりさんからスタッフとしてお誘いがかかった。

1度は帰り、改めて池田にやって来た星野さんはのりさんとともに開業準備を始めることにした。もともとビジネスホテルであった宿泊施設部分は、すぐにも開業できる状態であったが、受付、カフェバー営業部分は片づけをしなくてはならない状態で、週末はのりさんと、平日は地域やネットで公募したヘルパーさんの助けを借りて遺品整理が続いた。

2014年10月、ついにホテル・アパート部分がオープンした。

「奇跡的な再会だった―」

ココクロスから道路を挟んで目の前には、上京した時に知った三芳菊の酒蔵があった。オープンの挨拶も兼ねて伺ったところ、馬宮社長から「(酒の)味唎いてみる?」と、しぼりたての日本酒を飲ませてもらった。何とも言葉にできない味わいにハマってしまった。以来、管理人仕事の合間に三芳菊で手伝いをするようになった。

やりたいことを口にすればかなうマチ

ココクロスのカウンターにいつものように星野さんは立っていた。その日は誕生日であった。そこに常連さんが歩未さんを連れてきた。歩未さんは日本酒が好きでとても気が合ったそうだ。常連さんと一緒に星野さんの誕生日を祝い、今は夜の交流スペースの日本酒酒場「およばれ」で女将として星野さんと二人で店を切り盛りしている。

「このマチに恩返しがしたくて自分に出来ることをやっていきたい。」と照れながら話す星野さん。

「住んでいて心地よいマチ」と話す横には、このマチで生まれ育った歩未さんが寄り添っている。